経済産業大臣指定伝統工芸品
国(経済産業省)は伝統的工芸品が、国民生活に豊かさと潤いを与えるとともに、地域経済の発展に寄与し、国民経済の健全な発展に資することを目的に、昭和49年5月に伝産法を制定しました。
「伝統マーク」とは、伝統的工芸品の表示、その他の宣伝について統一イメージで消費者にアピールするために定められた、伝統的工芸品のシンボルマークです。
経済産業大臣の指定を受けた伝統的工芸品産業全体で使用することとしています。伝統マークは、伝統の「伝」の字と日本の心を表す赤丸を組み合わせたものです。
当センターでは、筑後地域にて指定されている「久留米絣」「八女提灯」を取り揃えています。
久留米絣
久留米絣は、国の無形文化財に指定される久留米絣は200年の伝統をもつ日本の代表的織物です。
厳選された藍で丹念に染められ卓越した織りの技が、今も昔も変わることなく美しくやさしい織物を生みだしています。
久留米絣は、我が国の木綿絣の中でも渋くて強く、すばらしい風格をもち、最高の技術をもっています。
絣は、小柄から中柄・大柄・絣絵まで豊富な表現方法があります。
久留米絣は、純正の藍で30回以上染めるので、洗っても絣の白と紺が一段と冴え、手織りによる素朴な味わいと藍の香は、広く愛されるところです。
牡丹に唐獅子
明治30年製作
布団として使用された。
幾何学文
製作年代不明
七福神
明治25年製作
布団として使用された。
七福神は、恵比須・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋であるが、こ
の絣には毘沙門天が無い。
しかし中央の福神の文字を神として七福神としている。
重枡
江戸末期製作
油単として製作された。
城
明治35年製作
布団として使用された。
日比の雷風
大正末製作
力士の丹前として使用された。
箱とねずみ
江戸末製作
布団として使用された。
紋付き着物松竹梅
明治末製作
井上伝考案十八模様の絣柄
井上伝が十八歳のときに製作したと言われている。
本物は残っておらず、昭和58年に「翔藍会」の発足記念事業として複製品が製作される。
九州地図明治
明治40年製作
本村合名会社のPR用として製作された。
高砂翁媼
明治末期製作
布団絣として使用された。
絵台
括り糸と粗そう
藍(すくも)
木綿車
枠上げ
いざり機(福岡県指定有形民俗文化財)
明治15年ごろ製造
嫁入り道具として作られたもので、わが国在来の織り機です。
単綜絖と中筒によって開口し、長大な杼を直接手移しし、杼口に通す仕組みとなっています。
杼口を開口するには、足糸と称する綱を引いて単綜絖を引き上げ製織りするため、重労働で時間がかかりました。
このタイプの織り機は、明治20年ごろまで使用されていました。
井上伝肖像画
井上伝の愛用品
筬(おさ)・杼(ひ)・めがね・はさみ
現存する井上伝 縁の品はこの4点のみとなっている。
八女福島仏壇仏具
八女福島仏壇漆塗りと金箔をほどこした八女福島仏壇は、思わず息をのむほどの豪華さと荘厳さをたたえています。
その起源は古く、1821年ごろ遠渡三作という人が夢でみた壮麗な楼閣をヒントに創りだした、といわれています。
時を超えた今もなお、伝統を継承した木地師、宮殿師、彫刻師、金具師、蒔絵師など、熟練の職人たちが分業で製造しています。
八女福島仏壇の型式は、福島型・八女型・八媛型の3つに分類され、彫刻加工(8工程)、金具加工(毛彫13工程、地彫8工程)、塗装加工(膠下地塗26工程、堅地塗33工程)、蒔絵加工(8工程)と総組立てに分けられ、全工程は80工程余りにのぼります。
木地、宮殿、彫刻の木工の一部を除いて、ほとんど手加工によるすぐれた技法が伝承され、10年以上の経験がないとこれらの工程をこなせないといわれています。
八女提灯
八女提灯は1816年(文化13年)ごろ、福島町の荒巻文右衛門が作ったものが始まりとされ、山水の絵をほどこした風雅の薫る提灯です。
八女という手すき和紙や竹の豊富な土地ならではの工芸品で、おもに盆提灯、葬儀用として生産されています。
すぐれた手すき和紙に手描きされた絵は見事としか言いようがありません。
19世紀初めに、場提灯という素朴で簡単な絵を描いたものが作られたのが八女提灯の始まりとされています。
その後改良され、薄紙の八女手すき和紙を使い、内側が透けるようにして花鳥や山水などを描いた「涼み提灯」として名声を博しました。
大正時代以降は盆提灯が主流となり、現在では手すき和紙や高級絹に絵を描いた盆提灯のほか、祭礼用や宣伝用の提灯なども生産され海外へも出荷されています。